鬼ノ唄


絵を描いたり、日記書いたり、小説書いたり、更新しなかったり、そんなサイトです。

since 2006/6/1 

遺書




このまま消える前に一つ書いておきたいことがある。
これは私の人生に関することなのだが、興味のない人が見てもつまらないものだと思う。
だから、興味がない人は今すぐ閉じてもらってかまわない。どうせたいしたことは書いてはないのだから。
ただ一人、これを見てもらいたい人がいる。
それを望むことは出来ないだろう。
でも思わずにはいられない。
どうか、これがあなたに届きますように。

思えば私の人生には、出会いというものがひどく少なかった気がする。私の能力の欠落の所為もあるが、それ以上に人運がなかったのかもしれない。
おかげで私はほとんどのときを一人で過ごしてきた。一人が当たり前だった私にはこれが普通だと思っていたのだが、やはり違っていたようだ。
学校などでも談笑の輪には入らず一人いた私に話しかける物好きもいたものの、私が反応を返さないのを見て遠ざかっていった。
私には一人の方が心地よく、また安心できた。傷つけるものもおらず傷つけてしまう相手もいない。まるで、本当にこの世が私一人のようで心地がよかった、落ち着けた、そして何より静かだった。
何もない平坦な世界、広い空に一つの雲もないような世界、ただそこには私のみがあり、他の何もない一人だけの世界。それは今でも私の理想の世界ではあるが、もうそれは実現することのない夢でしかないようだ。
悲しいことだが私は理想へと向かう階段を見失ってしまったようだ。
夢を諦めてゆくことが成長であるなら、それは成長であったのかもしれない。
一つ悔いることがあるとするならば、私の脆弱性である。
成長を止めることができなかったわたしの脆弱性である。
自分がここまで弱いものだとは思っていなかった。自らの内側に負けるほど自分が弱いなどと誰が想像できただろうか。
ただ、その弱さゆえに、脆弱性ゆえに私は出会うことが出来た。
我が最愛のひとに。

理想の世界の崩壊と共に生ける屍と化した私を救ってくれたのは彼女であった。
進むべき道が崩れ去り、自らもその穴へと落ち、ただ惰性のみの毎日。
生きている理由などなかった。生きている意味にいたっては、逆にそれが私を苦しめ始めたほどだ。
何を言っているか分からないとお思いだろう。しかしその実、私ですらよく分かっていないのだ。
ここまで読んでいただいた方々には悪いが、これは特に意味を持たない言葉の羅列でしかない。意味すら持たない言葉の連続。
ただ、なぜかこれを書き留めておかねばならない気がするのだ。
意味などなくていい。理解などされなくていい。ただ、見て、聞いてくれるだけでいいのだ。
もともと人が見ているなどとは思ってはいない。

夢に向かっていた頃の私はよかった。
迷いなど無く、真っ直ぐ進むことだけを考え生きていた。
楽しいなどという感覚は未だに分からないが、もしかしたらあの頃は楽しかったのではないかと思う私がいる。
人より長けた能力など無く、生きていくことにすら苦労している私だが、ただこれだけは言える。
人の生に意味など持たせるべきではない。意味が一人歩きし始めてしまったとき、あなたは自分の意思ではない何かに全てを持っていかれるであろう。あなただった物はただの空洞に成り下がり、生きるということを忘れてしまうだろう。
生に意味など存在しない。ただただ、惰性のみである。
考えたことがあるだろうか。たかがナイフ一本で砕けてしまうようなものに意味などあるのかと。
あなた達は何も考えずにこういうだろう。
この世に意味の無いものどあるわけが無い。この世の何にでも意味は存在するのだ。それこそこの一匹の小さな羽虫であろうと意味はあるのだ、と。
しかし、私はそんな子供のような理論には同意などできない。ここに生きる意味を失くした私がいるのだから。
あなたは私が見えるだろうか。今ここにいる私が。
もしも見えているのならよく見て欲しい。それは本当に私なのだろうか。むしろ、あなたは本当に物を見ることが出来るような存在なのだろうか。
物を見る、その行為はそれだけで狂気を催すものだ。
見えてはならないもの、見たくないものが一緒くたに飛び込んでくるのだ。
私はずいぶんと昔にものを見ることを止めてしまった。
ただ恐ろしかった。ものを見ることがこんなにも恐ろしいとはあなた方は思わないだろう。
見る、という事は、知るという事。
節穴の目でものを見られるのなら、私はそれを望んだだろう。
しかし私にはそれすら許されなかった。
おかげで真理をいくつか読み取ることが出来たのだが、それと比べられないほどの、胸焼けがしそうなおぞましいものの数々を網膜に焼きつけてしまったのだから。
見てしまったものを無かったことにすることは出来ない。
それを認めたうえで生きていかなければならないのだ。
そのようなことをした事の無いあなた達には理解できないだろう。生きるということの矛盾を。

生きるということは死に向かうことである。
死ぬために生きている存在、これが私達である。
消えてなくなるために走り続けるものに意味などあろうか。
まあ、あなた達にそれを言っても理解できないのだろう。
毎日を当然のように享受し、進むことをやめ堕落し、そんなあなた達に何が理解できるというのだろう。
盲目で聾唖のあなた達は全てを曲解して理解したつもりになっているだけだ。もっと真っ直ぐに物を見据えてみて欲しい。
もったいぶった理由をつけてあなた方はそれをしない。どうしてしないか私には見当もつかない。

無駄なことを書きすぎた。
このような愚痴を書く気など無かったのだが。
私が言いたいのはこのような低俗なことなどではない。
あなた達に理解されないのは分かっているが、それでも書いておきたい。
私の生は空に満ちていた。
空虚に満ち満ちていた。
それは私にとっての至福であり、生を実感させるものであった。
ただ、私の生を阻害するものの所為で私はもう別のものに変わってしまう。
私は自らの生に意味を持たせてしまった。
それを私は悔いなければならないのに、どうやらそれを悔いるほどの自我を私は既に失ってしまったようだ。自らの生が侵食されてゆくことすら心地よく思っている私自身が恐ろしい。
あとわずかもすればその感情すら失われてゆくのだろう。
だから、私はその惨めな自らの生に終止符を打つことにした。
迎える終焉に恐れは無い。後悔も無い。ただ、漠然とした一つの思いが私の脳裏を掠めてゆく。
どこで、この道をそれてしまったのだろうか。あるいは、もしかすると初めから。

いや、これ以上無駄な話はやめておこう。

ただ、誰でもいい。
わたしの言うことが理解できる者がこれを見てくれることが私の唯一つの願いである。
そして、進むべき道を見失い、自らすら見失ってしまったこの私を嘲笑してくれればただそれだけで私は満足である。
文才の無い私の文章を見る物好きもいないだろう。
私もそれは分かっている。
言っていることも支離滅裂だろう。既に私という存在が希薄になり、塗り替えられつつある今、それは当然なのかもしれないが。
もう書くまい、書くまいと思いつつどんどん筆を進めてしまった。

さて、私もそろそろ筆で無く足を進めることにしよう。
立ち止まるのは止めにして、足を前へと進めよう。
残された時間内に私としてできる事を最大限しよう。
私は今終焉へと向かい、自らを終わらせる。
その先に、何かがあるのか、それとも無が広がっているのか、むしろ私は私自身を終わらせることが出来るのかどうか、気になることは山とあるが私は、自分が出来ることを精一杯やろうと思う。
私がうずもれてしまう前に、そう生き埋めになる前に。
既にあなた達と同じくらい目も耳も口も機能を失ってしまった。
もう時間が無い。ここにとどまる時間も、体を休める時間も。


私は、今の私を終わらせる。